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ニュージーランドとボブマーリー

Furuya Furuya

先日、天気が良かったのでどこかに行きたいと思った。そういえば5月11日はボブマーリーの命日ということで、キングストンに行くことにした。キングストンといってもジャマイカではなくここクイーンズタウンからワカティプ湖を南に車で1時間ほど行った小さな村だが。

ジャマイカとニュージーランドのキングストンは何の関係性もないが、ボブマーリーとニュージーランドの関係は実は深い。

ボブマーリーがニュージーランドに与えた音楽面での影響は計り知れない。レゲエ音楽はマオリやポリネシア系移民のもっていたバイブスに非常にマッチし、ニュージーランドに定着しニュージーランドレゲエ/パシフィックレゲエへと形を変え、現在もニュージーランドのヒットチャートを賑わせるジャンルとなった。ただレゲエ音楽がニュージーランドに根付いた理由はその音楽性によるものだけではない。

グローバリゼーションはレゲエ音楽のローカライゼーションを促進していった中で、ニュージーランドでもマオリ(Tangata Whenuaその土地の先住民として)やポリネシア人の持つ葛藤や苦悩、アイデンティティ、挑戦を表現、また共有する手段となっていった。

もちろんマオリが置かれた立場はジャマイカの人たちとは違うが、彼らもまた先住民族としてヨーロッパからやってきた入植者(パケハ)たちとの間に争いをおこした。1840年2月6日に北島のいくつかの部族の族長とニュージーランド総督代理により結ばれたワイタンギ条約により事実上イギリスの植民地となるニュージーランドだが、マオリは不遇の時代を迎えることとなる。この辺りは原田敏治氏の著書『先住民族社会の形成と存続』(日本経済評論社)に詳しい。

1973年のオイルショックやイギリスのEC加盟によりニュージーランドが経済的に厳しくなり、マオリの復権運動は高まることとなった。1975年にワイタンギ審判所が設立され、ワイタンギ条約を見直し、マオリはここに訴えをおこし、権利を回復していった。

ボブマーリーは1979年にニュージーランドを訪れている。彼は既にレゲエ音楽の神であっただけでなく平和、圧政への反逆、市民の権利の象徴だった。マオリの復権運動だけでなく南太平洋におけるフランスの核実験に対する批判等、レゲエ音楽は時代を反映する音楽となった。

現代においては、ワイタンギ条約が前提としていた二民族一国家(マオリとパケハ)は崩れ、ニュージーランドは多民族国家となった。一少数民族に成り下がることを恐れていることもあり、彼らは今もデモや裁判を行う。もちろん“Get up, stand up! Stand up for your rights!”“Get up, stand up! Don’t give up the fight!”とボブマーリーを歌いながら。

ニュージーランドは歴史の浅い国だ。とりわけ南島にはマオリ人口の5%ほどしかいなかったのだから歴史や文化に富んでいるわけではないかもしれない。旅行者は大自然を目的に来る、それも承知している。

ただ、絶景のワカティプ湖沿いをゆったりとドライブしながらラジオから流れてくる音楽にこの国の歴史を感じる。そういったニュージーランド旅行の楽しみ方もまた良いのではないだろうか。

 
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FURUYA

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